• 「安倍はやめろ」「学長やめろ」で停職3ヶ月

    となった件についての当人の見解

    2015年11月27日 ハヤシザキカズヒコ

    1. 「安倍はやめろ」「学長やめろ」で停職3ヶ月

     わたしは、福岡教育大学に勤務しており、11月26日、停職3ヶ月の処分をうけました。

     発端は、わたしの7月21日の授業で、学生団体による関西デモのSEALDsのサウンドカーの様子を動画で紹介したあとに、「ちょっと練習しようか」とよびかけ、

     

    「戦争法案絶対反対」

    「安倍はやめろ」

    とコールし、そのあとに、

    「寺尾もやめろ」(寺尾慎一は本学学長)

     

    とコールし、そこで教室の爆笑をさそったという事象にあります。このギャグはその場でおもいついたものです。実際に、ムッチャうけました。またその場で、福岡の学生たちの団体FYMが主催する最初の「反安保デモ」についても紹介しました。

     そのさいに、授業に出席していた1人の学生が授業の様子をこっそり撮影し、ツイッターに写真つきで、「大学の講義で集団的自衛権反対のデモの様子紹介して、練習しようとか言い出して「戦争法案絶対反対」とか「安倍は辞めろ」とか練習させられてるんだけど」と、ツイートしました。

     このツイートが炎上し(大量にリツイートされ)ました。そして7月23日に、大学はわたしに授業停止命令を出し、処分を検討すると報道発表しました。

     この発表により、まとめサイトだけではなく、J-CASTや産経新聞をはじめとして、新聞やテレビが報道し、さらにツイッターの炎上がとめどなくなり、大学に抗議や苦情の電話が殺到したといいます(わたしはその件数や内訳をしらされていません)。

     その件をめぐって、調査をうけ、そして、昨日の11月26日に停職3ヶ月という処分が決定したということです。処分の概要は、大学のウェブサイトに公開されています。

    http://www.fukuoka-edu.ac.jp/news/archives/384

     

     このウェブの発表は、「処分事由説明書」という、わたしが手わたされる文書を簡略化したものです。かんたんにいえば、ツイートが炎上した日の

    1. 当日と翌日の学部の授業で、デモへの参加をうながしたこと。
    2. 当日と翌日の学部の授業で、「戦争法案絶対反対」「安倍はやめろ」「寺尾(学長)もやめろ」と発言したこと。また当日は、発言だけではなく、受講する学生たちに復唱をうながしたこと。
    3. 当日そのあとの大学院の学期最後の授業で飲食し、かつ飲酒したこと。
    4. それらの授業のシラバスの記入をおこたったこと。

    の4つが理由としてあげられています。ツイートの炎上の原因は最初の2つですが、それにくわえて、わたしをとがめる理由を2つ、懲戒等調査委員会でみいだして、懲戒をさらに説得力のあるものにしようとしています。さらに、ツイッターの炎上で抗議や苦情が殺到したことや授業停止命令による学生の負担が生じたことも、わたしの責任とされています。

     

     いろいろな人にきかれるので、以下にわたしの見解をしるしておきます。

    2.不当な懲戒であり、政治的な弾圧。

     本懲戒は、あきらかに不当です。

     この懲戒では、わたしの正当な教授行為について、「政治的活動」をおこなったとして、職員就業規則(注1)の「本学内で,許可なく政治的活動,宗教的活動等の業務外活動を行わないこと」(職員就業規則第32条第9号)に反するとしています。

     しかし、わたしの発言・行為は政治活動とよべるものではなく、簡単にいえば、講義の一部に安保法案を批判する内容、および、学長への大学経営の批判をふくめただけのものです。この処分は、学問・思想・良心・言論・表現の自由に対する政治的な弾圧であって、いわば憲法違反です。

     また、この件と同時に、上記の3)や4)などの、非違行為とはいえないようなことが非違行為としてあげられ、また、わたしの責任や過失でもないものが、わたしの責任として懲戒の量定をおもくするためにあげられています。本件の懲戒は、「懲戒権の濫用」以外のなにものでもありません。わたしは、この懲戒は無効であると主張します。

     以下に具体的にその理由を列挙します。

    3. 安保法案を批判することが、政治的活動とできるか。

     理由の第一は、政治的な活動の意味を拡大解釈し、わたしの行為に適応していることです。そもそも「活動」とは、長期間にわたる持続的なものをよびます。しかし、処分事由説明書では3つの授業をとりあげ、おのおのの学生たちに対して、たった一度だけおこなった「行為と発言」に対して、それを「政治的活動」と称しています。

     処分事由説明書では、予定されているデモを紹介し、参加をうながしたこと、および、「戦争法案絶対反対」「安倍はやめろ」「寺尾(学長)もやめろ」と発言したこと・復唱をうながしたことがとりあげられています。

     しかし、いうまでもなく、デモは、民主社会における政治表現のひとつの正当な方法です。

     わたしはデモの日時を紹介して、「法案に反対の人はデモにいくべきだ」とのべて、参加をうながしただけです。デモに参加することを学生に強要したわけではないし、単位の要件としたわけでもありません。学生に安保法案に賛成であるか、反対であるかもたずねていません。安保法案に賛成の学生に、かんがえ方をあらためるよう、さとすこともしていません。

     たしかに、大学内で安保反対のデモをしたとしたら、政治活動だとよぶことができるかもしれません。しかし、学外のデモを紹介することまで政治活動とよぶのは、拡大解釈にすぎます。

     まして、憲法違反とされる法案に反対するのは、国民の義務です。日本国憲法12条には、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」とあります。若者たちがおこなう安保法案に反対するデモは、この憲法をまもろうという「不断の努力」にあたります。そのデモを紹介し、参加をうながしたことは、「行動力の育成」を目標とする人権教育(注2)の授業としてふさわしいものとして、むしろ評価されるべきものです。

     それを「政治活動などの」「業務外活動」として懲戒するのは、憲法をまもろうとするうごきや、教員たちの発言・行動にたいするたんなる政治的な弾圧です。このような懲戒が正当なものだとすると、大学の教員はあらゆる政策批判ができなくなってしまいます。

     また、処分事由説明書には、「偏った誘導により学生に不快感,不安感を与えるもので,大学内の秩序・風紀を乱した」とかかれています。このような、どうとでもいえる曖昧な事由で懲戒することはゆるされません。不快感、不安感をどれだけの学生がもったのか。学生の秩序・風紀がどのようにみだれたのか。学生にきいてみようとおもいますが、そのようなことはまったくありません。

     そもそも、このコールはギャグとしておこなったものであって、「寺尾(学長)もやめろ」がオチとなっていたものです。ほぼすべての学生が爆笑しています。ギャグがうけて笑っているものを、「不快感・不安感を与えた」とは、通常とはまったく逆の解釈です。爆笑した学生がえたのは「快感」です。ギャグがうけたからといって、「秩序・風紀」が乱れたなどというのは、まったくのイイガカリです。

     この件をきいて不快感をもったのは、むしろ懲戒等審査会の嶋倉議長や、寺尾学長の2人でしょう。だからこそ、わたしに対する「恨み」という私情をまじえて、わたしを懲戒しているのです。いわばこれは懲戒権を利用した復讐であり、パワーハラスメントだといえます。

     たしかになかには、「そのギャグはやりすぎだ」という人もいます。また、自分はそういう授業はしないという人もいます。しかし、毒のあるギャグを得意とする漫才師がいるように、わたしの授業の芸風はそういうものなのです。毒のあるわらいがわたしの授業のモチアジです。そうしたギャグでの風刺をふくめて、「表現の自由」だとわたしは主張します。

     ちなみに、わたしは「デモの練習」といったことはありません。わたしがいったのは「コールの練習」であり、このコールはラップなのであって、古くさい「シュプレヒコール」でもありません。

    4. 学長の経営を批判したら懲戒?それはファシストの弾圧です。

     第二に、「寺尾(学長)もやめろ」と発言したことが、誠実義務違反(職員就業規則第29条)だとされています。しかし、これも言論・良心・表現の自由に対する弾圧です。わたしは職務について誠実であるからこそ、学長に「やめろ」といっているのです。職務にたいして誠実であることと、学長に服従することとはまったく異なります。

     なぜ、「寺尾もやめろ」がギャグとしてなりたち、学生のみんなが笑うのか。それだけ学生にとって不利益になる改革ばかりをしてきて、「大学教育の破壊だ」と、教授陣の大多数から反対をうけているからです(注3)。自分のおこないによる不人気を棚において、「学長をやめろ」と発言した人間を懲戒するのは、たんなる、腹いせ・やつあたり・みせしめ・いやがらせ・ハラスメントにほかなりません。権力の濫用であり、公平な懲戒審査とはとうていいいがたいものです。

     なお、ユネスコとILOによる「高等教育教員の地位に関する勧告」には、教員は「自己の勤務する機関またはその制度について自己の意見を表明する自由」に対する権利を有する (第26,27条)とあります。わたしをふくめた大学教員たちは、大学について自由に発言する権利があります。この処分は、本学のあやまった大学経営に対する批判を封印しようとする、重大な権利侵害です。

    5.事案とは関係ないことまで懲戒の事由にしている。

     第三に、処分事由説明書には、大学院の授業で飲食し、わたしが飲酒したことがあげられています。大学院の学生との飲酒のみでは非違行為に該当しないにもかかわらず、わざとらしく非違行為であるかのようにあげられています。そもそも飲酒が、職員就業規則に反するということはありません。学内のどこにも「学内禁酒」とはかいておらず、飲食禁止なのはコンピューターのある情報処理室だけです。

     大学院の授業は少人数であり、アットホームな雰囲気でおこなわれることが通常です。これまでわたしが通学した大阪大学やロンドン大学の大学院では、最後の授業や中途の授業の時間を利用して、飲食をすることは頻繁におこなわれています。わたしが大学院生の頃は、大学内に設置されたパブで、教授と学生の4人で、ビールをのみながら授業をうけたこともあります。タケノコ狩りにいって、教授の自慢の手料理をふるまってもらって、みんなで宴会をしたこともあります。また、本学でもおおくの先生方が同様に、学生たちと飲食をしています。

     何をもって「授業と連続した空間で飲酒を行うことが非常に不適切」なのか。まして、わたしの話がおわったあとに、交流として、ビール2本とチュウハイ1本といったわずかな量を、学生たちとわけて飲み、ほかは、ソフトドリンクとノンアルコールビールを飲んでいただけです。宴会をしていたわけでもないし、泥酔して誰かに迷惑をかけたわけでもありません。

    6.シラバスの未記入は過失だが、それが懲戒相当?

     第四に、処分事由説明書には、シラバスの未記入があげられています。たしかにシラバスを今年は入力しそこねましたが、このような単純な過失についてまで、誠実義務違反とするのは、懲戒権の濫用です。

     そもそもこのシラバスの記入は、新システムの導入の混乱により、大幅に日程がおくれてなされたものでした。例年の2月中旬よりはるかにおくれながらも、当初は3月18日よりログインIDが配布されるはずでした。しかし、新システムの不調・混乱により、新年度開始直前の3月30日になってようやく、各教員にログインIDが配布されました。しかも、例年とことなって、前年度のシラバスがひきつがれないという特殊な年度でした。そしてそれらの連絡はすべてメールのみであり、その後、わたしのシラバスがまだ入力されていない旨の連絡も、注意もまったくありませんでした。

     未記入であることがわかれば、記入をうながせばよかっただけのことであり、そもそも未記入であるときに、なにが未記入かどうかもわからないシステムもおかしいものです。おそらく、このシステムの混乱のなかでたくさんの授業のシラバスが記入されていないとおもわれます。

     ほかにも情報処理システムの混乱や不調は、本学でつづいています。

     こうした混乱を引き起こしたのは、そもそも情報処理センターを廃止し、システム管理の専任教員を、その任務から外したことに起因しています。派遣社員がシステムの刷新をになっていましたが、新システムの稼働がはじまる4月に、派遣の社員は「これはダメだ」とおもったのか、トンズラして、さっさとやめてしまいました。すなわち、寺尾学長による大学改革による悪影響が、こうした混乱を生じさせているのです。

     たしかにシラバスの記入を失念していたことは、わたしの過失です。しかし、それが懲戒に相当する「誠実義務違反」とはとてもいえません。懲戒に値するとはいえない過失でさえ、このようにあげつらうのは、反安保や反学長にかんするわたしの発言・行為だけでは、懲戒ができないからにほかなりません。軽微な過失をあつめてまで、わたしを懲戒したいという懲戒等審査会の意志のあらわれなのです。しかし、これらはそもそも懲戒事由として妥当性を欠くため、いくら積みあげても無効であり、それらを理由とした懲戒の量定のカサあげは不当です。

    7.ツイートの炎上による苦情や抗議はだれの責任か?

     第五に、処分事由説明書には、学生のツイッターでのツイートにより、「ネット炎上」が発生し、おおくの抗議や苦情の電話が大学に殺到し、大学の業務に支障が生じたことが、わたしの責任にされています。

     しかし、これらは当然、わたしが責任をおうべきことではありません。

     わたしの授業は、授業料を納入して、科目登録をした受講者にのみ公開されているものであって、そもそもインターネット上の公開を前提としていません。また、授業中の写真は遅刻してきた学生に、盗撮されたものであって、授業の写真をインターネット上に公開することは、「公開範囲の推定」に誤謬があるプライバシー権・肖像権の侵害です。小学校の子どもが保護者に、学校であったことをはなすのとはわけがちがいます。

     そのような違法な権利侵害の行為によっておこった「ネット炎上」について、わたしが責任をおうのは、判断の合理性を欠いています。

     まして、大学は、ネット炎上に端をはっする業務妨害について、それを防止する策をとっていません。大学は、「業務妨害に対しては、きびしい態度でのぞむ」とか、「警察に相談する」などといった掲示をホームページ上にのせることもしていていません。おおやけに業務妨害にたいしてつよい態度でいどんでいないのです。

     そもそも、苦情や抗議をしてきた人びとが何人いたのか、さえもあきらかにされていません。同一人物が何度も電話をしてきたかもしれない。また、保護者の名をかたって抗議の電話をかけてきた者のうち何名かは、偽物だったかもしれない。大学は、電話の相手の同定や確認さえもしていません。

     わたしは、副学長と理事の2人にたいして、悪質な業務妨害を誘発しているツイートについて、「特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律」にもとづいて、ツイッター社に開示請求し、そのツイートの本人たちに「業務妨害をするな」と警告する手をうつべきだと進言しています。しかし、そのごも、その画像はツイッター上にのこっており、なにかの対応がなされた形跡はありません。実際には、なにも対応をしていないとべつの副学長はいっていました。

     このように大学の役員たちは、わたしの進言のような対応をとらず、業務妨害にたいしてつよい態度でいどまず、抗議や苦情をおこなう人物の同定もおこなわず、いわゆる愛国ツイッターによるイヤガラセにたいして、なされるがままだったのです。

     むしろ、ツイートをした学生(すぐにわたしに謝罪にきました)と、わたしが協力して、これらの愛国ツイッターや保守系まとめサイトの管理者・運営者にたいして、おねがいしたり、肖像権の侵害行為を指摘したりしながら、写真の掲載をやめてもらっていたのです。しかし、大学側がわたしに「授業停止命令」をだすという処分を、7月24日に報道発表してからは、最後に1枚だけだったネット上の写真がとめどなくひろがりつづけ、もう手に負えなくなりました。

    8.わたしが授業停止命令をうけて、教務上の負担が生じた?

     第六に、処分事由説明書では、「授業停止命令により学生に教務上の負担が生じたこと」がわたしの責任として批判されています。これは、責任の転嫁です。

     わたしは7月23日に学部長から、授業停止命令をうけました。この授業停止命令のさいに、次期学長候補となっている桜井理事と、学部長は「学生への不利益がないようにする」とわたしにのべました。「学生への不利益がないようにする」とのべながら、学生への不利益が生じたことをもって、わたしの責任とするのは、責任転嫁でしかありません。

     また、この授業停止処分はあやまった処分です。

     わたしは、授業停止処分をうけたさいに、職務専念義務違反、職員倫理規定違反等により、授業を停止する、とつたえられています。これはわたしに非違行為があったから、授業を停止するという論理であり、わたしへの処分に相当します。すなわち、大学側は、授業停止命令と停職3ヶ月という二重の処分をわたしにあたえていることになります。

     授業停止という処分にくわえて、さらに審査会において処分をくだすというのは、本学懲戒等規定(注4)第2条(2)「懲戒処分等は同一の行為に対して重ねて行うことはできない」に反しており、一時不再審の原則にも反します。また、授業停止命令をだすさいに、大学側は、わたしの発言・行為についてなんらの調査もしていません。さらに「授業停止命令」は規定に存在しない処分であって、わたしの授業をする権利を正当なしらべもなくうばったものです。

     したがって、この授業停止命令はまったく正当性を欠くものであり、不当な職務命令です。これによって生じるすべての学生や教務上の負担は、学部長と役員会に帰属させられるべきものです。わたしは授業をしたいのに、授業をする権利をうばわれています。学生に不利益が生じたといって、わたしを責めるのは大きなあやまりです。

    9.停職3ヶ月というおもい量定はどうきめられたか?

     第七に、量定の算出が恣意的であり、過度におもい量定となっています。もし、わたしの行為が「政治的活動」であったとしても、職員懲戒等規定の「別表・懲戒処分の指針」には、「政治的活動」等により「秩序・風紀を乱した職員は、減給又は戒告」とするとなっています。しかも、わたしの発言や行為は政治「活動」とよべるものではありません。停職3ヶ月は、あまりにムチャクチャな量定です。

     このことは審査会の公平性に反するものであり、職員懲戒等規定第2条(3)「懲戒処分等は,同じ程度に違反した行為に対して…懲戒等の種類及び程度が異なってはならない」という規定に反するものです。いわば、この量定の過度の重さは、審査会の中立・公平性が保たれていないことの証左でもあります。いわゆるわたしにたいするハラスメントや報復の手段として、大学の執行部はこの懲戒のシステムを利用しているのです。

    10.懲戒等審査会が中立・公平ではない。

     第八に、このように懲戒等審査会の中立性・公平性がうたがわしいものです。

     とくに懲戒等審査会の議長が嶋倉剛氏であることは、審査会の中立性・公平性をおおきく損なっています。

     なぜなら、嶋倉剛氏は、下関教育長として出向していた2008年6月に、山口朝鮮学園の関係者が補助金の陳情にきたさいに、「植民地支配という部分は歴史的事実に反するので受け入れられない」とのべ、文科省の検定教科書とも、政府見解ともまったく異なる、一部で流通しているマニアックな歴史観を披露した人物だからです(注5)。

     このマニアックな歴史観は、「日韓併合において、朝鮮は日本に植民地支配されたのではなく、併合は対等でおこなわれた」と主張するものです。だから過去の植民地支配について、日本が謝罪する必要はないのだというのです。

     その極度にいびつな歴史修正主義的な発言は、山口朝鮮学園の関係者を激怒させ、当時の渡海文部科学大臣をして、嶋倉発言は政府見解に反するとして、「遺憾である」といわせたほどです。「不快感・不安感」を人びとにあたえ、下関の教育の「秩序・風紀」をみだしています。

     そのご、嶋倉氏は、発言内容にかんしては謝罪もしておらず、科学的な歴史認識とは、まったくことなる、ゆがんだ歴史観を保持しています。このような人物が議長として、わたしの安保法案にかんする政策批判について懲戒をくだすことは、中立的で第三者によるべき、懲戒等審査会による判断の公正性をうたがわせるものです。

     職員への懲戒処分は、第三者的かつ公平な観点からおこなわれるべきだと、ILOとユネスコの「高等教育教員の地位に関する勧告」(第48条)ではのべられています。

    11.大学ブランドの崩壊につながる。

     第九に、この懲戒自体が、本学の名誉と信用をいちじるしく傷つけるものです。本学が学問・思想・良心・言論・表現の自由を弾圧したとなれば、学術界や一般国民の批判をうけることはまぬがれえません。本学の学問の府としての自治や自律性はゆがめられているとの見解がひろがります。自由闊達さや人権をおもんじる高校生たちの受験が敬遠され、優秀な学生を獲得することがむずかしくなります。大学経営上のおおきな損失となることはまぬがれえないものです。有意な教員を養成するという本学のミッションに反する、多大なる過失・失策であり、役員の責任追及はまぬがれえないでしょう。

    12.たたかわなければ 大学の言論が萎縮してしまう。

     わたしは、断固として、この大学の不当な処分に対して異議を申し立てをおこないます。労働委員会、あるいは、法廷で、わたしの名誉と信用が回復するまで、最後までたたかうつもりです。

     愛国ツイッターや保守系まとめサイトは、たぶんわたしをたたいてくるでしょうが、そのようなことは、反安保デモを企画している若者たちが、いつもこうむっている被害にもおよびません。かれらの勇気やふるまいをみれば、わたしへのツイート攻撃などどうってことありません。もともとわたしは、あまりハエやアリが自分にたかっていてもきにしないタイプです。

     ぎゃくに、さまざまな言論弾圧がいまの社会に蔓延していることについて、大学人をはじめとする人びとが声をあげることが必要ではないでしょうか。

     この件は、大学で教員が政治的な発言やデモへの勧誘をしたら、それを罰してもよい、という悪質な前例になってしまいます。政策への賛否さえ、大学の教員がクチにできなくなったとしたら、わたしたちは何をおしえればよいのでしょうか。

     さらに、罰せられたらこまるので、大学教員自身が「政治のことには口だしせんとこう」とかんがえ、言論の萎縮につながってしまいます。実際に、本学ではそのような空気が蔓延しています。学長の経営に不満があっても、安保法案に反対であっても、それを声にださず、異議ももうしたてず、トラブルをできるだけさけて、はやくべつの大学にうつろうという人びとがほとんどです(わたしもかつてそうでした)。

     また、もっともおおきな弊害は、本学が、いわゆる「愛国ツイッター」たちに成功体験をあたえてしまったことです。つまり、愛国ツイッターたちが抗議やイヤガラセの電話をかければ、その圧力に大学がくっしてしまう。1人の教員ぐらい停職にしたり、謝罪をさせたりすることもできる。この懲戒は、相手が大学だろうがなんだろうが、みんなで抗議の電話をどんどんかける、という愛国ツイッターのお得意の手法をさらに助長することになったのです。

     このような言論の封殺や、言論の萎縮こそ、絶対にとめなければいけないながれなのです。それゆえ、どのようなことをしてでも、わたしはこの処分をくつがえします。

     

     劇作家の平田オリザさんは、現在は安倍政権にたいする「レジスタンスの時代」だとのべています。

     いまのわたしによる本学の大学経営とこの処分にたいするたたかいは、こうした言論弾圧の時代とたたかうことでもあるのです。わたしがすきな言葉にダンテの神曲のふたつの言葉があります。後者はいつもわたしのゼミの卒業生におくる言葉としています。

     

    「ただ良心だけが私の支えだ。良心というのは人間の良き伴侶で、自己の潔白の自覚が人に強みを与えてくれる。」

    「汝の道をゆけ。そして人には、いわせておけ。」

    脚注

    1) 福岡教育大学職員就業規則 http://ww1.fukuoka-edu.ac.jp/kitei/act/frame/frame110000026.htm

    2) 文部科学省の「人権教育の指導方法の在り方について」の第1次〜第3次とりまとめでは、人権教育は、「知的理解と人権感覚を基盤として、自分と他者との人権擁護を実践しようとする意識、意欲や態度を向上させること、そしてその意欲や態度を実際の行為に結びつける実践力や行動力を育成することが求められる」とされています。 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/024/report/08041404/002.htm

    3) 福岡教育大学の大学経営について外部のかたがしる材料としては、市民の方が取材をしてFacebookにまとめたり、組合がかつて問題点をまとめたりしています。「福岡教育大学の学長選を考える会」および「寺尾愼一学長による大学運営とその問題点」(PDF)を参照。

    4) 福岡教育大学職員懲戒等規定 http://ww1.fukuoka-edu.ac.jp/kitei/act/frame/frame110000051.htm

    5) 嶋倉剛副学長の過去の発言については、たとえば「山口県下関市嶋倉教育長発言に対する抗議声明」(平和フォーラム)参照。

    更新情報

    2015年11月29日 誤字脱字の修正と、構文をよみやすいように修正し、またいくつかの脚注をくわえました。

    2015年12月5日 SEALDsのDがぬけていましたので、修正しました。SEALDsのみなさん失礼しました。